詰め寄るだけでマネジメント
最近ふと思ったんですが、日系企業に多い「“報・連・相”は部下の役割だ」みたいな風潮っておかしいですよね。
もちろん、必要な報連相もあるという事は認めます。
例えば、一度に複数人が更新できない共用ファイルを触る時…
周りに「このファイル触ります」と一言報告してから触らないと、ファイルが先祖返りしちゃうかもしれません。
こういう風に、チーム内の混乱を招くことなく作業をしていく上で必要な報連相は、絶対なくちゃダメだと思います。
(まあ、こういう報連相は上司とか部下とか関係なく求められることですけれど。)
でも、報連相という言葉をあたかも“錦の御旗”のように扱って
報連相が必要とされない場面でも「報連相はどうしたんだよ!」と部下に詰め寄り
半ば脅迫めいた形相で部下をコントロールし、マネジメントをした気になっている上司が、ちょくちょくいますよね。
私がおかしいと感じているのはココです。
こういう(“指示待ち部下”ならぬ)“報連相待ち上司”がいなくならない限り、日本からパワハラなんて無くならないよなぁ~って、
もっと言うと、日本の労働生産性なんて上がらないよなぁ~って、最近思います。
私の新卒時代の話
部下→上司の一方的な報連相を要求されることが多い日本のビジネスシーンですが
そういえば、私が新卒で入った会社の上司も、何かと報連相を要求する人でした。
2年目の春、私はそれなりに大きな仕事も任せてもらえるポジションにつきまして
全体的な予算は上司が決め、それらをどう使うかは私次第という立ち位置にありました。
でも、私にある程度の裁量が認められてはいたものの、最終的な決定権は上司が握っていたので、
取引先との話し合いの内容や、相見積もりなど、決定を下すうえで必要と思われる情報は、すべて何らかの方法で共有していました。
何らかの方法とは、例えばメモを添えた資料を机に置いておくとか、メールにccをつけるとか、改めてメールで報告するとか、社内共有フォルダに資料を格納するとか、直接口で説明するとか…… そんな感じです。
しかし、毎回「報連相が足りない」と言うのです。
なので、どんな情報が欲しいのか、もしくはどんな風に報告すればいいのか教えてほしいと聞いたのですが、決まって言われたのが
「とにかくキチンと報連相するのが基本や」
「コミュニケーションや」
この2つでした。(笑)
そんなこと言われたって、この上司、しょっちゅう喫煙室行くからデスクにいないし、
「そんなに話の内容を知りたいのなら同席しますか?」と聞いても商談には同席しようとしないし、
取引先にもご挨拶しようとしないし……。
うーんと、まあ、とりあえずケチつけるのに手頃な言葉が「報連相」だったんですよね。(笑)
「報連相」は無能上司に都合のいい言葉
要するに、あの上司は、イキりたがりの陰キャコミュ障だったんです。
当たり前ですが、上司も人間です。
どんなに責任者といえども、一人の人間が全てのことを把握するなんて不可能に近いと思います。
だから、自分一人では把握しきれないところについて、部下から情報が欲しいんです。
ここで普通に「ねぇ、○○について教えてくれない?」と聞けばいいと思うのですが、かつての上司にとって“知らぬは恥”だったのでしょう。
プライドが「部下に質問をする」という行為を許さなかったので、報連相という言葉を使って「部下の怠慢」をでっちあげ、
それを「指導する」という形で上司としての威厳を保ちつつ、情報を手に入れようとしたのです。
あーもう、本っ当にコミュ障。(笑)
詰め寄るだけって無理がある
ちょっと話がそれますが、例えば
今日は学校どうだった?
○○君とはまだ仲良くしてるの?
お母さん今日スーパーで○○君ママに会ってね~…
お父さんもお母さんも忙しいんだから、今日学校で何があったのか、あなたから話すのよ。
これは子としての義務よ。
どちらの方が子供と良い関係を築けるかどうかなんて、一目瞭然だと思います。
ビジネスの場でのコミュニケーションも、根っこはこうした家庭内の会話と同じはずです。
だって、いくら“ビジネス”なんて格好つけた響きであっても
ビジネスを回しているのは、どこまで行っても、感情を持った人間なんですから。
人の感情を軽視した、一方的なコミュニケーションを続けていたら、両者の関係性が不健全になるなんて当然じゃないですか。
こんなん、ちょっと考えれば分かることだと思うんですけれど
「報連相は部下の仕事!」と言ってマネジメントした気になっている管理職は、“ビジネス”という世間から隔絶された環境に身を置いているので、そんな当たり前のことにも気付きません。
むしろ、「報連相ガー」と詰め寄って、一度でも部下をコントロール出来てしまうと
それが正しい行いだったんだと勘違いして、報連相マネジメントによって部下と良好な関係性を築けるとさえ錯覚してしまうのです。
やっていることがDV野郎と一緒……
哀しいですね。
報連相は 上司の優位性を確認するための儀式
私の経験談に戻りますが
かつての上司はとにかく報連相(っぽい何か)を求めるあまり、報告書を書かせるのが大好きでした。
報告書を書かせる相手は、私のような身内にとどまらず、取引先にまで及びました。
私に対しては、パワーポイントとかエクセルとかで作るよう求め、取引先にはなんと紙での報告を求めました。
じゃあ、集めた報告書はどうしているのかというと、きほん読まないんです。(笑)
取引先の報告書はデスクの上にずーっと置きっぱで、本社や外部の偉い人に何か質問されたときに、適当に言葉を拾って雄弁に語っていました。
私の報告書は社内共有フォルダに格納していたのですが、上司は自分でファイルを探せない人だったので、たぶん読まれていなかったと思います。(だからコッソリ書くのやめました)
つまり、逆に言うと、偉い人が質問しに来ない限りは、その報告書はちょっと読まれたり読まれなかったりで、どっかに放られていたという事です。
じゃあ、なんであんな手間な書類を提出させていたのか?
私は、あの時の報告書には”貢物”としての役割があったのだと推測します。
“貢物”としての報告書を受け取る――上司はこうした儀式を通して自分の優位性を確認し、安心していたんだと思います。
つまるところ、上司は自分に自信がなかったんです。
報連相マネジメントが無くなれば、日本の労働生産性は上がる
ICTとか5Gとか……
在宅勤務とかノー残業日とか……
作業効率化のために色んな技術や制度を職場に導入しようとする会社って多いですが
そんなことよりも何よりも、無駄な報連相をなくした方が目に見えて成果が出るでしょって思います。
例えば、私がかつていた職場では、少なくとも毎日30分は無駄な報連相に時間をかけていたので、
1月の出勤日数を20日とすると、無駄な報連相を削減するだけで1ヵ月で10時間もの労働時間を削減できるという計算になります。
月1人当たり10時間ですよ、10時間!
しかも、これは飽くまで少なく見積もった時の話です。
上司が不機嫌な時とかだと、下手すりゃ半日は報連相に時間を割いていた訳ですからね。
それに、無駄な報連相に振り回されていたのは私一人ではありませんからね。
これはもう、将来の日本のためにも「報連相は部下の役割ダァー」「報連相ガー」という文化は即刻根絶やしにするっきゃないですね!
…ところで
今さっき「日本 労働生産性 低い 理由」で検索したら、色々考察しているネットメディアが出てきたのですが、
「付加価値を生み出す力が弱い」とか「労働時間が長い」とか「一つの仕事にかかわる労働者数が多い」とか、
それらに対する解決策として「ITの活用」とか「意識改革」とか「煩雑な人事業務を効率化・透明化」とか…..
まあ、誰でも言えそうな抽象的な言葉で理由が語られていたんですけれど、
日本の場合は、ITどうこう以前の問題だと思うんです。
日本の会社には、不要な報連相業務が多すぎる!
→無駄な報連相は禁止!
→自分勝手な報連相を強要する管理職は降格/減給!
まずこれでしょ。
ではではまたぁ~ノシ