パワハラ体験記

心が疲れたあなたへ。精神的に辛い時は『小さく死ねばいい』んだよ【この世は舞台、ひとはみな役者】

私は約半年間、適応障害で休職していました。その時の私は、社会が怖くて怖くて、社会復帰なんてしたくないと思っていました。

そんなとき、森山直太朗さんの名曲『生きてることが辛いなら』が私の背中を押してくれました。

今回は「小さく死ぬ」という言葉の意味について、自分なりの解釈と、今正に生きてることが辛い方へのエールを記していきます。

「死ぬ」ということ

枯れ木とサンセットビーチ

端的に言うと、「死」というのは、いなくなることです。ホームレス中学生って小説、私が中学生の時に流行ったんですが、その中で「死ぬっていうのは、もう二度と、会えなくなるっちゅうことなんや」と言うシーンがありました。
一字一句覚えてないけれど、麒麟のイケボちゃう方の居候先のおばあちゃんが亡くなった時、言ってました。


世界中の色んな人や宗教が「死」について論じていますが、
「死」が「もう二度と会えなくなる」というのは、誰も否定できない、紛れもない真実です。

いなくなる。
この世で二度と会えなくなる。

「死」って、とても単純な事です。

「小さく死ぬ」ということ

バスを見送る女性

だから、その意味では、小学生のときに転校したっきり会ってないお友達は、私にとって「死」んでます。逆も然りで、その転校しちゃった友達にとって私も「死」んでます。

だって、あれから今に至るまで二度と合ってないから。

その場所から去る事――これを「小さく死ぬ」と言うのだと思います。

森山直太朗「生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばいい」の意味

「この世は舞台、ひとはみな役者。」とシェイクスピアは言いましたが、社会とは正にそうです。

私たちは色んなステージに“出演”しています。

・会社というステージ
・家庭というステージ
・学校というステージ

そして、各々のステージで自分が演じるべき役を持っています。

・良き部下としての役
・良き母としての役
・いじられキャラ(道化)としての役

演じている時、嬉しい事や楽しい事もあるだろうけれど、時にその役が自分を蝕んでいく事もあります。

そんな時です。そのステージで、その役を演じるのが辛いのならば、そんな役降りちゃえばいいじゃない?――そういう事を、森山直太朗さんは「小さく死ねばいい」という言葉で伝えているんだと思います。

代役なんかすぐ見つかるから大丈夫

緞帳に映るシルエット

 でも、役を降りる時

私が辞めたら、皆に迷惑をかけちゃう……

――と思い、降りる勇気が湧いてこない…

そうやって自分を騙し騙し役を続ける人もいるし、最悪、役を降りる気力・誰かに助けを求める気力も失って、そのまま死んでしまう人もいます

でも、代役なんて沢山います!本当です!

考えてみて下さい。あなたの会社で人が辞めたらどうしますか?

求人出すでしょ?すると、その“役”をやりたい人が応募して、1~3ヵ月以内に“オーディション”が開催されて、気が付くと新人がその席に座っています。

こんなもんです。

「3日と経てば 元通り」は言い過ぎかもですが、3ヵ月も経てば元通りです。

あなた自身の代役は絶対みつからない

夕日に浮かぶ人影

でもストレスに晒され続けて疲弊したあなたは、そうはいきません。

3日、3ヵ月、3年……いや、30年しても、元に戻らないかもしれません。

もしかすると、永遠にこの世に戻って来られなくなります。

あなたが演じていた役の代役はスグに見つかるけれど、あなた自身の代役は絶対に見つかりません。

だからなのです。

”生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい”

”くたばる喜び 取っておけ”

ではではまた~ノシ

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