私は最近『反応しない練習』という本を読んだんですが、読んでいるうちに、過去に適応障害で休職していた日々を思い出しました。
休職という名のほぼニート生活を送っていた時、「自分、何してるんだろう」という虚無感に苛まれ、ふと涙がこぼれてきた日々を思い出しました。
そして、あることを意識することで、私は約半年かけて、あの虚無感から脱することができたという事も、思い出しました。
その “あること” こそ、反応しないという事だったのかもしれないなぁ~~
…そんな流れで『反応しない練習』と記憶が繋がりました。
今回は、『反応しない練習』という本の内容をかい挟みつつ、「自分何してるんだろう」と、私が沈んでいた頃の話をしていきたいと思います。
きっかけ
休職し始めた頃は、「やっと休める」「やっとあの場所に行かなくて済む」という、安堵の気持ちの方が大きかったのですが、暫く経つと、だんだん「自分何してるんだろう」という虚無感に苛まれるようになっていきました。
大きなキッカケは、Facebookです。
ある日、ずっと放置していたFacebookを覗いてみると、大学時代の先輩や同期、後輩の華やかな会社員生活を目の当たりにしてしまいました。
アメリカ駐在生活を満喫していたり、外資系金融/コンサルで活躍していたり、しょっちゅう海外出張に行っていたり……。
つい数年前までは、同じ場所にいたはずなのに。
つい数年前までは、いま節約中なんだ~とか、就活のキツさとかを語らっていたのに。
――私だけが時間に取り残されて、私だけが社会に取り残されて、ずっと止まっている感覚になりました。
自分が恥ずかしくて仕方がなかった
アメリカ駐在を満喫している先輩。その投稿を、ベッドに寝転んで、スマホで見ている自分。
その落差に「自分って、何してるんだろう」と、思いました。
そして、自分自身のことを心底恥ずかしいと思うようになりました。
頑張ってまぁ良い大学出て、頑張って就活もしたのに、それまでの自分って何だったんだろう……
どこで自分は道を踏み外したんだろう……
――こんなことを延々と考えてしまって、でもネガティブな自分を旦那以外に見せるのが嫌で、親にも友人にも何も言えなくて
さらに心が沈んで、何もする気が起きなくなって、この世から消えちゃいたいと思うようになって
結局また布団に籠る……この繰り返しでした。
周囲と距離を置くようになった
「自分のことが本当に恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない!」
こう思い始めてから、大学時代の友人とはほとんど連絡を取らなくなりました。
なぜなら、私の周りはみんな優秀で、いい会社に行って、有意義な会社員ライフを送っているように見えたからです。
「私だって、かつてみんなと同じ土俵に立っていた」
過去の栄光を拠り所にしたプライドが邪魔して、だからこそ、今、こんな自堕落な生活をしている自分を見られるのが、想像するだけでも耐えられませんでした。
だから友人と連絡を取らないようになりました。
Facebookも一切見ないようになりました。
卑屈になるかと思いきや……
こうして私は、Twitterという小さな「村」にばかり入り浸るようになり、
『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』の美しい世界に毎日観光しに行くようになり、
パソコンをよくいじるようになり、
とりあえず気になる本を片っ端から読むようになり、
アマプラ見まくるようになり、
週2だったヨガ教室に週5で通うようになり……
卑屈になると思いきや、意外や意外!元々好きだった自分の時間を更に楽しめるようになったのです。
毎日好きなことにずーっと没頭していられるから、それまで抱えていた虚無感なんて感情(?)も、いつの間にか忘れちゃっていました。
もちろん、大学時代の友人や大学時代のサークルのOBOGには、全く音信普通になることについて、はじめのうちは少なからず後ろめたさも感じておりました。
でも、連絡をしなくても、別に悪い変化は起こりませんでした。
むしろメリットの方が増えた気がしていて、周囲の人たちに会わなくなったことで、次第に周囲と自分を比較をしなくなっていき、気が付くと、今の自分を受け入れてあげられるようになっていました。
自分について考える余裕ができた
大学時代の優秀な友人たちと今休職している自分を比べない
――そうすることによって「周りの人はこんなに前進んでいるのに、私はなんでこんなところでベッドに寝転がっているんだろう」というような焦りが消えていきました。
そうした焦り消えていくことでやっと、心から休息をとることができるようになっていきました。
心から休息を取れるようになって初めて、次の一歩について考える余裕を手に入れました。
私は復職すべきなのだろうか、それとも転職すべきなのだろうか?
復職するとしたら、まずどこに配置してもらおうか?
転職するとしたら、どんな職種に就くべきだろうか?
そのために今私は何をする必要があるのだろうか?
今から3ヶ月後・5ヶ月後・半年後・1年後……何ができているべきなのだろうか?
こういった将来の事を、ワクワクしながら考えられる精神状態になっていきました。
そして今――
あれから約2年が経ちました。
私は休職していた会社を辞めて、全く異業種のプログラマとしてIT企業に転職し、
「やりたい分野と違うな」と思ってそこも辞めて無職になり、約半年間の無職生活中に、書籍やプロゲートを利用しながらWEBデザインを勉強し、
2021年、晴れてWEBデザイナーという肩書で、ITスタートアップ企業に就職することになりました。
「周囲との関りを絶つ」ことで救われた自分
最後の最後にこじつけのように見えますが、私があのどん底の日々からこうして生還できたのは、実は『反応しない練習』に書いてあることをなんとなく実行していたからなのかなぁ~と思います。
『反応しない練習』には、他人に左右されず、自分の人生を歩むためには、周囲の雑音に反応しすぎないようにすべし!……的なことが書かれていました。
そしてそのためには、
自分の物事に集中する
べきであり、そうするために
目を閉じ、無駄な反応リセットし、目を開いて目の前の作業に一心に取り組まなければいけない
という事が説かれています。
休職中、周囲と距離を置くにあたって、現実にこうしたステップを踏んでいた訳ではありませんが
- Facebookを見ない・大学時代の友人と連絡を取らない(目を閉じる)
- 比較しない・焦りを感じない・自分が恥ずかしいと思わない(無駄な反応をリセットする)
- 自分の好きなことに集中する・余裕が出てきたら今後のキャリアについて考える(目を開く)
という風に、事実それらしいことはしていたように思えて、「反応しない」というメソッドに妙に納得している自分がいます。
私の辛い時期を人生のターニングに変えた「反応しない」という生存戦略。
周囲と比較してしまい、今の自分に焦りを感じ、自信を失い、「自分なにしてるんだろ」と虚無感に襲われる方。
そんな方は一度、周囲との関りを絶ってみてはいかがでしょうか。
大丈夫!そんなことで友達やめてくる友達は、多分そんな大切な友達じゃないから。
心に余裕が出てきて、社会復帰した頃には、本当に大切な友人だけが残るから。
ではではまた~ノシ