- 優柔不断で
- 心配性で
- 人の目を気にしすぎてしまう
こんな私が『ユダヤの商法』を読んで、「こりゃあタメになる!!!」と思った事をまとめるブログPart2でございます。Part1は▼コチラ。
Part1でも言いましたが、この本を1言で総括すると変な人に騙されず、自分に有利な選択をしていけるメソッドがまとめられた書です。
また、その為にどのタイミングで人を疑い、どのタイミングで人を信頼するかべきかをまとめた本であるとも言えます。
『ユダヤの商法』はジャンルで言えばビジネス書ですが、主婦とか学生とかでも大いに役立つ内容なので、ぜひサラッと読んでって下さい。
優柔不断・心配性ほど『ユダヤの商法』を読むべき理由
日本人の判断基準って大体「人の目」だよね
日本社会では「人の目」が善行・悪行の線引きですよね、大体。
他人に迷惑をかけちゃいけません
周りがこうしているのだから、こうしなさい
こんな風にね。
でも「人の目」は定まっていません。
人によって善悪の判断が違うのはもちろん、同一人物であっても、お腹がすいている時と満腹の時、寝起き時とそうじゃない時で意見が変わってきます。
また、こうした価値観の違いは、人だけでなく組織によっても全く違ってきます。
例えば同じ日本国内であったとしても、会社によって【定時上がり】の評価は真っ二つに割れますよね。
「人の目」を基準にしている限り、どんな行いが「正解」かなんて絶対に分かりません。
だから、有りもしない「正解」を求めて優柔不断になるし、「人の目」を気にしすぎて心配性になります。
結果、他人の顔色を伺いすぎて何も行動を起こせなくなったり、行動した後で
あの言い方はマズかったかな…?
などとクヨクヨして、もっと大切なところに集中できなくなってしまうのです。
ユダヤ人は「人の目」を信じず「ユダヤの教え」を信じる
ユダヤ人にとって善行・悪行の線引きはユダヤ教の教えです。
そして、その教えは2,000年の歴史が裏付けている証明不要の論理である(とされている)から、それに従っていれば疑いの余地なく、ブレない判断が下せるということです。
ユダヤ人は迫害されてきた民なので、彼らの思考は「人の目」を信じないところから始まります。
だから、日本人であればつい「人の目」を気にしたくなるピリピリした局面になってしまったとしても、ユダヤ人は「教え」に従った思考・行動をする事で、人の目という不安定なファクターに惑わされず判断を下せます。
だから、迅速に最善の判断を下していけるのです。
本書で紹介されているユダヤの教えは、ユダヤ人でないと理解不能な教えではなく、一種の真理のような鋭いものです。
「空気」に影響されやすい日本社会に生きているからこそ、こうした教えは学ぶべき点があるのではないかと、私は読んで思いました。
人間は変わる
人は変わるものだから、1回断られたって交渉を諦めることはない。
人間は変わる。人間が変われば社会も変わる。社会が変われば、ユダヤ人もきっと甦る――これがユダヤの世界観です。
だから、商談がヒートして喧嘩別れしても、ユダヤ人は翌朝ケロッとして笑顔で顔を合わせるそうです。
それで著者の藤田田氏に向かって
人間の細胞は刻々と変化し、日々新しくなっている。
だから、昨日ケンカした時のあなたの細胞は、今朝新しい細胞と入れ替わっている。あなたが変わるのを待っていた。
なんて言ったそうです。
前日は本当にバチバチに商談が紛糾していたらしく、藤田田氏は、どんな顔してまた商談の席につこうか悩んでいた程です。
だから、笑顔でこんな事を言われた藤田氏は拍子抜け!
動揺を隠しきれず、ユダヤ人のペースに持っていかれてしまったそうな。
ユダヤ人は、この「人は日々変わる」という理論をポジティブに利用することで、粘り強く相手を説得し、自分に有利な状況へと持ち込むのです。
説得しなきゃいけない時に倣うべき思考
巷ではよく「人を変えるより自分を変えた方が早い」という言葉を聞きますが、直面している問題によっては、自分を変えることが出来ないことだってあると思います。
例えば、
- 不動産に関する交渉とか
- 銀行にお金を借りる時の交渉とか
- 人事部に異動願いを出すとか。
もしその物件を気に入っていたり、どうしても借金をする必要があったり、今の会社をどうしても辞めたくない場合、相手を説得するか、苦渋の決断をするかの2択になってきます。
例えば借金のケースの場合、銀行を説得できなかったら、闇金に手を出すことになるかもしれません。
異動願いのケースの場合、人事部を説得できなかったら、妻子と離ればなれに暮らす事になるかもしれません。
説得しなければ、自分が大きな損を被ってしまう――こんな場合は、「人を変えるより自分を変えた方が早い」という理論ではなく
「人間の細胞は刻々と変化し、日々新しくなっている。」というユダヤ式理論を拠り所に、粘り強く、忍耐強く交渉する方が、得策といえましょう。
不意の客は泥棒と思え
ユダヤ人の時間に関するモットーは『時は盗むな』です。
アポ無しで来る人間は、どんな人間であろうとも迷惑千万・門前払い。
又、アポをとるときも「何月・何日・何時〜」ではなく、「何分間」まで予め決めておくのがユダヤ式です。
お互いに1分1秒を争う急ぎの道中であることを忘れてはならない。
それがユダヤ流のエチケットなのです。
アポなし人間は相手にしない
私が会社員やってた頃の話です。
私はポジション的に、色んな営業さんの話を聞く立場にあったのですが、アポなしで来る営業さんって、まぁ迷惑でした。
もちろんお断りする事もありましたが、断るためにそれまでの作業を止めなければならないので、ほんの3分席を立っただけでも「あれ、なに考えていたんだっけ……?」となり、仕事のリズムが崩れます。
すると、仕事のスピードが落ち、目標の時刻までに各タスクが終わらなくなります。
それが積み重なると残業になり、プライベートの時間が削られていきます。
こうした事を考えると、アポなし人間は他人のプライベートを盗む輩と言い換えられます。
だからこそ、急な来客は相手にするべきではありませんし、ましてや申し訳ない様子さえ無いアポなし人間は、人の時間を尊重できない自己中人間なので、即座に警戒すべきといえるでしょうね。
納得してから取引する
「契約の民」であるユダヤ人にとって、契約不履行はご法度!
だから、本当に納得してから契約を結びます。
- 納得するまで質問しまくるのは当たり前
- 商談は簡単に決着が付かなくて当たり前
- 交渉に数日かかったってOK!
日本人だと、例えば保険の契約とか、お部屋の契約の時に
言っていることがイマイチよく分かんないなぁ……
と思っても、人と揉める事や、周囲の客への迷惑を嫌って
あとは、営業さんがせかすから誘導されるがままに
まあ、いっか
と、疑問をそのままにしてハンコ押しちゃうことありますよね。
で、あとで「なんだこれ!?」となって、担当者に電話をかけても
あれ、説明しませんでしたっけ?
(お客様が話を聞いていないのが悪いんですよ?)
と言われ、たじろいでしまう局面、経験した事ありませんか?
ユダヤ人は、「契約」という重要な決断を下す時、人と揉める事や、周囲の客への迷惑といった「人の目」を恐れません。
納得するまで質問を繰り返し、主張するところは主張し、完全に腹落ちしてから契約を結びます。
これが、損を被らない為の第一歩だからです。
取引相手はすべて「初回」
「いやいや、自分はもとから、納得してから契約を結んでいますよ?」
こういう方ももちろんいるかと思いますが、じゃあ、過去に取引実績のある相手はどうでしょう?
ユダヤ人は、一度商売が上手くいった相手でも、次の取引の際には、新しく取引を開始する相手以上には信用しようとはしないそうです。
確かに、既に実績のある会社との取引って、色々ナアナアになりがちですし、時々舐めた対応してくる人もいますからね。
商売の相手は一回一回すべて「初回」。
前回みたいに上手くいくだろうと一人合点していては、痛い目をみます。
親しき仲にも礼儀あり
『取引相手はすべて「初回」』の考え方って、ビジネスのみならず、身近な人間関係にも適用できるなぁ~と読みながら思いました。
家族だから、恋人だから、友達だからと
- お金を無心してきたり
- 連絡なしに約束を破られたり
- 感謝すべきところで「ありがとう」が言えなかったり
このような基本的な礼儀が出来ない人は、いくら付き合いがあったとて、腹の底では絶対に信じるべきではないと思います。
仲がいいからと礼儀を欠く人は、相手を軽んじているか、「これくらい良いだろう」と他人を舐めている人だからです。
ちょっとキツイかもしれませんが、既存の人間関係に甘んじて舐めてかかる人は、相手の優しさに漬け込み、搾取する危険性があるのは確かです。
取引相手はすべて「初回」。
――家族・恋人・友人問わず、この指針を頭の片隅に置いて、損な役回りを回避して生きて行きたいものです。
契約したら全面的に信じる
ここまでで、ユダヤ人は、契約するまでにかなり慎重に判断するって話をしてきましたが、一度契約をすると決めたら、ユダヤ人はその相手を全面的に信頼して取引を始めます。
それだけに、契約が破られたり、裏切られた時は決してそのままでは済まされません。徹底的に損害賠償請求します。
懐疑主義はタイミングをわきまえる
あーあ、契約しちゃったけど、大丈夫かなぁ……?
ビジネスでも、ビジネス外でも、決断した後に懐疑主義的思考に陥ること、ありませんか?筆者・藤田田氏でもそう思うことがあったそうです。
そんな藤田氏に対して友人のユダヤ人がこういったそうです。
人を疑うことは悪くはないが、何から何まで疑うことは、自身のエネルギーを阻害する以外の何物でもない
そうした懐疑主義は結局、無気力をもたらすだけで、それでは到底お金儲けなんかできない
ユダヤ人は、迫害され流浪の民であった歴史から、「人の目」をまず信頼しない所から始まります。
だからこの記事も、途中までは懐疑主義を推奨しているような内容でしたが、人を信じるところは信じないと、前へ進めないって事ですね。
この、他人への懐疑と信頼の遣いどころをわきまえている所が、ユダヤ人の優秀さなのかなぁ~と思いました。
ではではまた~ノシ