人間関係

【心が疲れたあなたへ】「情けは人の為ならず」なんて嘘だ!と、現実に絶望してしまう人へ

「情けが仇」の方が真実でしょって思うよね

「情けは人の為ならず」は、「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくる」「だから、誰にでも親切にせよ」という意味ですね。(Wikipediaより)

「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という間違った解釈もあると言いますね。

でも私は、正しい前者の解釈についても「嘘」だと思います。

何故なら、人に情けをかけた後にいい事が帰ってくる人なんて、限られているからです。

育ちの良い人、両親に愛されてきた人、天然のイケメン・可愛いコ、様々な環境に於ける中心的人物――良い行いをした人が報われる世界に身を置けるのは、選ばれしごく少数です。

普通は「いい人が居てよかったね!ラッキー」と思われるぐらいで、何も起きません。

心からの「ありがとう」を言われることもあります。それは嬉しいですし、その一言によって、その後の一日ずっと気分良く過ごせますが、それ以上の事って、滅多にありません。

こんな「普通」ならまだしも、私は過去に、情けが仇となって、小中ではいじめにあったり、濡れ衣を着されたりしました。

高大では割と良好な人間関係を築けていましたが、新卒で入った会社では、ぼろ雑巾の様に使われスケープゴートにされ、心を病み、会社を辞めました。

▼新卒入社時代の体験談

性悪説に基づき生きるけど、ずっとは哀しい

情けが仇となって帰って来た時、私は思いました――「情けは人の為ならず」なんかクソ食らえ、と。

だから今、私は性悪説に基づいて生きています。

基本的に、旦那以外の人間は信頼しません。

又、相手と自分との関係に、僅かにでも変化をもたらし得る「貸し」「借り」は、限られた人間との間にしか作らないようにしています。

それは、ちょっとしたお土産や、祝い金、「すみません」といった言動についてもそうです。

世の中には、ちょっとした事でも上下関係を作り、理不尽にふっかけてくる人が居るからです。

でも、最近ふと思いました。

ちょっとした貸し・借りをも避けて生きていく人生って、そんなの哀しいじゃないかって。貸し借りを作りたくないから人に情けを掛けない人生って、そんなの虚しいじゃないかって。

だから私は、人に情けを掛ける事について考えてみたのですが、でもやっぱり、今まで受けてきた理不尽を思うと、怖いんです。また「いい人」認定されて、カモられるだけじゃないかって。

でも、旦那以外の誰とも深く付き合わない人生って、あまりにも虚し過ぎる、そんな哀しい老人にはなりたくないと思い、人間関係について再度考えてみました。その中で、自分なりに「情けは人の為ならず」を解釈してみました。

「情けは人の為ならず」の再解釈

それが、

情けは人の為じゃなくて、自分の為に掛けるんだ。

自己満足でもいい。自分が掛けたいと思って情けを掛けた結果、運が良ければ人から感謝され、自分の評判が良くなるんだ。

……という解釈です。

この解釈なら、人にどう反応されようと、絶望はしません。

「裏切られちゃったけど、まあ、これも経験のうち。」

「優しさに付け込まれそうだから、あの人から距離を置こう。いい勉強になった。」

「ありがた迷惑だったかな…?次はやめよう、いい事に気が付けた。」

「『ありがとう』って言われた。やってよかった!」

他人への情けは所詮自己満足であり、それがちゃんと評価されるか否かは運次第なんだ!……という解釈にするだけで、自分に何かが帰ってくることを期待しなくて済みますし、仇が帰って来た時だって悲しい思いをしなくて済みます。

情けを掛けるという行為について、期待もせず、怖がりもしない事で、人に情けを掛けやすくなります。

そうやって、自分の考えに基づくままに、自分なりの「良い事」を実行し続ける事で、(もちろん自分の事をウザがる人もいるでしょうが)自分に救われた人間が増えていき、自分の株が上がっていくのでしょう。

その、株が上がった瞬間こそが「巡り巡って自分に恩恵が返ってくる」状態なのだと、私は思います。

最後に ~坂本龍馬の名言と共にエールを贈る~

最後に、坂本龍馬の言葉をひとつ。

”世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る”

https://www.compass-point.jp/kakugen/2367/

日本人として覚えておきたい ちからのある言葉

『世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る』

Chinoma – 知的好奇心がある人のためのサイト Chinoma

●「人がわかってくれなくても、自分がわかっていればそれでいいのだ」
一見すると無責任で利己的な生き方を礼賛するように読めるが、決してそうではない。

●日本という国を想い、日本を洗濯するために仕事をした37年の人生は、利他の精神に充ちていた。

●もちろん、そもそも論として、自分の行動が利他か利己かという評価はとても微妙な問題である。

●たしかなことは、「一つの行動が正しいか間違いか、良いか悪いかという判断ほど、人により、また時代によってくるくると入れ替わるものはない」ということだ。

●信念に殉ずる生きざまに、人は惚れるのである。

この記事を要約すると、こうなるでしょうか。

人の意志を後押しする、深イイ言葉ですね。

……ここまで記事を読んでくださった方の中にも、私の様に、過去、情けを仇で返され、人間不信になった方や人と繋がるのが怖い方、いらっしゃるかと思います。

そうした経験を経て、もう外に出たくないと引きこもってしまう方もいるかと思います。

でも、そうした中でも、何かやりたいことがあるのなら、歩みを止めないでください。

「情けは人の為ならず」の「いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくる」という意味だけを切り取り他人に期待するのではなく、「運が良ければ、自分に恩恵が帰ってくるだろう」くらいの心持ちで、自分なりに歩みを続けて下さい。

私も現実に絶望せず、情けを掛けたいと思った時に情けを掛けられる、そんな、大きな心を持てるよう、頑張ります。

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